お雛様が見守ってくれた母娘の時間
昨日まで家のなかに華やいだ空気を作ってくれたお雛様にお礼を言いながら、丁寧に箱に入れてロフトに片付けました。
子どものころ実家にあった別のお雛様を、母が飾ったりしまったりするときには毎年手伝っていたのを思い出します。
壊れそうなほど繊細な雛人形にそっと触れられる時間は、秘密のお人形で遊んでるような秘めやかなひとときでした。
今も、お雛様の準備をする作業は好きです。
子供の頃と違うのは,そのときの気持ち。
今は毎年,お雛様を出すたびに娘たちの成長を想い,祈るような気持ちになります。
ちょうどこの時期が,受験や進学,進級の時期と重なるからかもしれません。
これまで無事に育ってくれたことに感謝したり、これからの娘たちの幸せを願ったりしながら、淡々と、お雛様やお道具たちを一つ一つ手にとって飾っていく静かなひとときが、祈りのようで好きなのです。
生まれたばかりのときには、そこにいるだけでいとおしい存在だった我が子。
だんだん大きくなると、親の期待が少しずつ大きくなっていったような気がします。
お稽古事や学校のこと、進路のこと。楽しいことばかりではなく問題もたくさん起こりました。
そのなかで、がんばれ、がんばれという無言のプレッシャーを与えていたのかもしれません。
がんばらなくてもいい。
そこにいてくれるだけで母は嬉しい。
生まれてきてくれたことだけでありがたい。
存在そのものがまわりを幸せにしてくれているのは、生まれたての赤ちゃんの時から変わりません。
そんな気持ちを伝え続けることが、子育ての中でいちばん大切なことなのではないかと、今では思います。
子育てだけでなく、人と人とのつながりの中で伝えたいことも同じなのかもしれません。
レイキを使っていると,大きな子どもでも小さいころと同じように触れ合うことが多くなり,考え方もレイキ的になるので、自然とそんな風に感じるようになりました。
昨日は、我が子の成長を感じる別の行事があったこともあり、いろんな想いが駆け巡った一日でした。
桜の咲くころには、笑顔で新しい一歩を踏み出してますように。
そしてみなさまにもたくさんの幸せが訪れますように♥